当前位置

首页 > 范文 > 校园 > 夏目漱石心读后感

夏目漱石心读后感

推荐人: 来源: 学识文学馆 阅读: 2.63W 次

“こころ”という本を読むことになって、私はまず最初に考えたのは、心とは何だろうということです。确かに、谁にでも人の心、気持ち、スピリチュアルオーラというものがあります。でもそれはどこにあるのか分かりません。だからといって、心とは脳だというようなミンスキー的`唯脳主义に陥っても良いのでしょうか。仆はまず、そのことを心に留めて読むことにしました。

夏目漱石心读后感

それは“私”と“先生”との触れ合い、そしてすれ违いを描いた作品でした。特に印象的な言叶は”“记忆して下さい。私はこんな风にして生きて来たのです。”です。作中、“私”が“先生”から受け取る遗书の一节に、私はどきりとしました。

结局“先生”は死に至りますが、もし“先生”があと少し弱い人间であれば(あと少し强い人间ではなく)、おそらく死ぬことは避けられたでしょう。もしかすると、この本が示すのは、清く生きるのは难しい、ということなのでしょうか。戦争の英雄は戦争で死に、理想家は理想に死ぬということなのでしょうか。そう考えると“先生”が、より理想だけを追い求めて生きる、狂信的な信者によって杀されるというのは、皮肉なことに思います。もちろん、自杀はいけないことです。“明治の精神に殉死する”という言叶には、现代に生きる私には理解しきれない意図があるのだと思いますが、それでもやはり、自分を慕っている妻を置いて死ぬことは裏切りであり、誉められたことではない、と思います。しかし、私は、“こんな风にして”とは、结局どのような生き方のことを指しているのだろう、“先生”は、何を“记忆して”欲しかったのだろう、と、考えずにはいられませんでした。

この作品を読んで感じたのは、“裏切り”ということです。 この作品の主要な登场人物の多くは、裏切りの被害者であり、同时に加害者でもあります。

一见すると、これらの“裏切り”の最大の被害者は“K”だと感じられますが、一方で、彼も、医者を目指すと思わせて実际にはそうしない、という形で养父母を裏切っています。

そしてもちろん、“先生”は、“K”の精神的な弱点をついて“お嬢さん”を手に入れた上、“K”を自杀に追い込んだ、という自责の念をついに妻に打ち明けずに死んでしまったわけで、周囲の人间を裏切っています。

そして、その“先生”も、若い顷には叔父に遗产をだまし取られています。また、“先生”の教え子である“私”が、“先生”の奥さんをなぐさめるうちに関系を持ってしまう、というのも、“先生”の妻に対する态度に一因があるとはいえ、裏切られたと言って良いと思います。

ふだんはふつうの“いい人”として、友だちや家族と仲良くしている人であっても、いったん大きな利害が関わってくると、手のひらを返したように家族や友人を裏切ってしまう、ということは、自分の経験をふり返っても感じられます。

自分も幼驯染を裏切ったことがありました。クラスでは成绩顺位がいつも私と幼驯染を争っていました。幼驯染は病気で1周间が休んだことで大事な试験内容を知らなかったです。普通友达なら、教えるべきなのに、わたしは1位を取りたいため、黙ってしました。结局、予想通りで、わたしは1位でした。今から振り返ってみれば、わたしも完全に友达を裏切ってしまった。当时どうしてこんなことしたのでしょうか。いまだに胸の中に责めています。

作中には、自分の裏切りが、自分に特有のものだ、と思っていたなら、“先生”は、それを“记忆して下さい”などと书きはしなかったでしょう。それが谁にでもあることだと思うからこそ、“先生”は“私”にそれを伝えておく必要を感じたのではないでしょうか。そして、そう伝えた相手が、密かに“先生”自身の妻と関系を持っている、ということに、漱石の强烈な皮肉を感じます。 “私”と“先生”の奥さんの情交の场面での、明治の作品にしてはひどく生々しい描写や、作品全体を贯く露悪的な雰囲気も、そのような漱石の思いの表れかも知れません。

作品の中で描かれた数々の裏切りは、结局は不幸を生み出すだけでした。お互いに信頼し合い、正直であることこそが、お互いの幸せにつながる、というのは、多くの人にとっては闻き饱きた言叶かも知れません。