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夏目漱石讀後感

推薦人: 來源: 學識文學館 閲讀: 1.72W 次

私が高校生の頃から文學作品といわれる小説を読み始めてから、最初に、まさに心の底から感動した作品は夏目漱石の「こころ」であった。私の初めての漱石體験は「坊っちゃん」でも「三四郎」でも「吾輩は貓である」でもなく、「こころ」だったのである。「こころ」の読書體験が未來の私の行くべき道を決めたといってもいささか誇張ではない。私は將來ずっと文學と縁をもちたいとうっすらと思い描いた。「こころ」にはそれだけ人を動かす力があったのである。

夏目漱石讀後感

しょせん高校生の私に「こころ」を本質的に理解できようはずはなかったが、私は魂を揺さぶられた思いがした。その後「こころ」の読後感と同じような経験をしたのはドストエフスキーの「罪と罰」を読んだときだ。なぜかこの2つの作品の読後感は似ていた。森鴎外・永井荷風・太宰治・トルストイ・バルザック・ゾラ・ディケンズなどを読んだときとは違う読後感を與えてくれた。おそらくこの2つの作品が人間の心の奧の奧に潛む魔物を追求しているからであろう。

「こころ」は上中下の3編からなっている。すなわち、上「先生と私」、中「両親と私」、下「先生と遺書」である。上中は「私」の語りから構成されている。

「私」は鎌倉の海辺で偶然「先生」と出會い、それ以來「先生」に惹かれて東京の「先生」の家にたびたび訪なうようになる。

「先生」は學校の先生ではなく、どこにも勤めていない財產でもってそれなりに暮らしていけるいわゆる高等遊民であった。「先生」には美しい奧さんがいた。

「私」は「先生」の家に出入りするようになって強く「先生」のことに関して興味をもつようになる。それと同時に敬愛の念も増してきた。いつしか、「先生」の家の書生みたいな感じになっていった。「先生」が夜出かけて家を留守にするときなど、「私」は「先生」に呼び出され、奧さんの用心棒を命じられたりした。そのとき、「私」は奧さんから「先生」のことについて聞いた。奧さんによると、「先生」はあるときから人が変わったようになったと言った。先生は無口で暗い感じの人であった。

「先生」は月に1度、雑司ヶ谷の墓地に墓參りに行く。その墓には「先生」の友人が眠っている。「先生」はその友人のことについては「私」に一切話さない。「先生」は何か人に言えない祕密をもっているかのようである。

「先生」は孤獨であった。「先生」は大學出ではあったがそれらしい友人もいなかったし、「先生」の家に訪ねてくる人もほとんどいなかった。

「私」は大學を卒業しても就職先が見つからなかった。いそいで職を探さなければならないという立場ではなかったが、「私」の父が病でたおれてからそうはいかなくなった。「私」は田舎に帰り、父の看護をしながら、就職先の世話をしてもらうために「先生」に手紙を書いた。だが、「先生」からの返事はなかった。

そのうち明治天皇が崩御し、そして9月の御大喪の日、乃木大將が殉死した。

それから、數日して先生からたいへん分厚い手紙が「私」の許へきた。それは「先生」の遺書であった。「私」は家のものに內緒で停車場にかけつけ、東京行きの汽車に乗った。そして、汽車の中で「先生」の遺書を読んだ。下「先生と遺書」は全編「先生」の遺書である。この遺書には「先生」の祕密が書かれていた。

「先生」はある時期から自分の逃げ場は「死」しかないと悟っていた。他に逃げ場はなかったのである。なぜ、「先生」は逃げなければならなかったのか、それは友人を裏切った「自己」を否定したかったからだ。